acedia

「怠惰」もしくは苛立ち。

Ableton のブログをまたよく読むようになっていて。
最近で言えば AI に関する記事が面白いし、iOS アプリの Ableton Note もちょっと使ってみたけど楽しいアプリケーション。
一方で、AI ももちろん関わる話だけれど、オリジナリティとか個性とか創造性とかそういうものに関する記事を読んだりそこから動画に飛んだりすると、どうしてもイライラする。

音の制作に限って言っても、プリセットを使うことへの批判とか、サンプリングとオリジナリティの関係を論じたものとか、別に Ableton のブログに限らず、そこかしこに記事は転がっている。
プリセットを使っているようでは自分だけのオリジナルな音に辿り着くことはできないとか、クラフトワークはプリセットだけで楽曲を作っているがとてもかっこいいとか、サンプリングは剽窃でしかないとか、サンプリングがオリジナルでユニークなものに昇華する可能性があるとか。
わたしのようなポンコツには、誰が正しくて誰が間違っているのかなんてとうていわからないのだけれど。

とうていわからないのだけれど、ポンコツにだって思うことはある。
全ての言葉はすでに書かれていると言ったのが誰だったか失念してしまったけれど(ボルヘスだったっけ)、これは別に文学だけに限った話ではないような気がしてしかたがなくて。
だからといって全ての言葉を読み尽くすことがだれにもできないように、わたしが聞いたことのない音はまだまだたくさんあるだろうけれども、全ての音はすでに奏でられているのではないか。
轍の刻まれていない未開の地なんてどこにもないってわかっているのに、自らの(あるいは誰かの)独創性を強弁したい連中が、その事実を、見て見ぬふりをしているだけなのではないか。

今回のは、Elly の部屋で作った、Elly との 2 つめの共作。
制作と前後しながら、上に書いたような話を Elly ともしていて。
Ableton Live に入っている膨大なサンプルを次から次へと聞いて、INA GRM の Pack から気持ちよかったいくつかを並べてランダムに再生し、Studio One で少しだけエフェクトをかけた。
エフェクトはプリセットから選んで、Dry/Wet を変更しただけ。

わたしがしたことは、サンプルを選んで並べたことと、エフェクトをプリセットから選んだことと、パラメータを一つだけ変えたこと。
音を録って提供してくれたのは INA GRM と Ableton だし、エフェクトを作ってくれたのは Presonus なんだけど、じゃあこれはわたしの音じゃないのか、それともわたしの音なのか。

ものすごくナイーブで、滑稽なほどモダンで、口にするのも恥ずかしいような問いだと、わたしは思う。
なぜなら、すでにここに存在する音にとって、あるいはそれを聴く誰かにとって、この問いの答えなんてどうでもいいことのはずだから。
これずっと聴いてたら、ほんとに怠惰になっちゃうわ。
制作しているときに、Elly がふと呟いた言葉。わたしには、これだけでじゅうぶん。

というわけで、新作 “acedia” です。

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