決断と後悔。
イギリスの日刊紙 “The Daily Mirror” によると、平均的な人は一生に 773,618 回の決断をし、そのうちの 143,262 件について後悔するのだそうだ。
The average person will make 773,618 decisions over a lifetime – and will come to regret 143,262 of them.
A typical adult makes 27 judgments a day – usually starting with whether to turn off the alarm or hit snooze.
And each decision can take up to nine minutes, which adds up to a mind-numbing four hours lost in thought.
https://www.mirror.co.uk/news/uk-news/average-person-makes-773618-decisions-90742
単純に割り算すると、後悔するのは決断のうちのおよそ 18.5%ということになる。
この「18.5」という数字が、自分の体感よりもずいぶん小さいと感じるのは、わたしだけなのだろうか。
わたし自身について言えば、50%以上後悔しているような気すらしてるのに。
773618 ÷ 27 ÷ 365 ≐ 78.5 なので、この記事で言う “adult” の期間が 78.5 年だということなのか、単に平均寿命を 78.5 年と仮定したのか……などと無駄なことをいろいろと考えてしまうのだけれど。
この記事には計算根拠やらデータの出自やらが一切書かれていないので、信用に足ると考える方が間違いなのだろう。
まあ、そもそも、あの The Daily Mirror だし。
一日あたり最大およそ 35,000 回の決断をしているという記事を読んだ記憶もある。
ケンブリッジ大学の研究がどうのこうのと、一時期いろんな人が飛びついた数字だったんじゃないかな。
ここでいう「回数」に無意識における決断(これを「決断」と呼べるのかどうかは議論されてもいい気もする)まで含められたら、どの数字が正しいのかなんて誰も判断できやしない上に、平均値で議論することにすら、あまり意味を見出せなくなるわけだけれど。
以下は、あくまで個人的な、極めて個人的な見解であると断った上で。
決断に後悔しないために必要なものは、妥協か自信だと思っている。
わたしは、仕事に着ていく服は何も考えずに手に取ることができるようにしている。左、あるいは上から着ていって、洗濯したら右端、あるいは下に突っ込む「先入先出法」を導入すると、ある日、決めたのだ。これは「妥協」だ。
一方、音作りや動画作りをしていて、これで完成だと決断するのに必要なのは、「自信」だと思う。
最近読んだ、村上隆『芸術逃走論』(幻冬舎文庫・2018年)には「ネバーギブアップ精神」と書かれていて*。
でも、挙げ足を取るようだけれど(もちろんそんなつもりではなく)、もしも本当にネバーギブアップだったら、作品制作なんて一生終わらないわけで。
どこかで、ギブアップではなくて「よし、終わった」と思える、あるいはそう思わなければならない瞬間がある。
その時に、これは「ギブアップではな」い、たしかに作り終えたのだ、と思えるかどうかは、自信の有無だと思う。
問題は、成長している限りにおいて、わたしたちは絶えず、自信の喪失と獲得を繰り返していることだ。
以前に作ったものを聴くと、当時の自信と今の自信に齟齬があるから、当時の「終わった」が、今の自分からは「ギブアップ」に見えてしまう。それが、ある種の後悔の原因なのだろう。
* これも含めて、この本にはとんでもなく感銘を受けて、Elly にも興奮冷めやらぬまま熱く語った上に、読んでもらったりして。読前と読後で、わたしの制作に向かう姿勢や考え方は、確実に変わった。ものすごく刺激的な本。おすすめです。
だからなんだという話でも、結論が出るような話でもないんだけど。
「ある種の」後悔、とわざわざ書いたのは、取り返しのつかない決断に由来する、思い出すたびに死にたくなるような後悔もたくさん、なんならそっちのほうがずっとたくさんあることを、もちろんわたしだって知っているから。
でも、上述の「ある種の」後悔は、自分が、亀の歩みだとしても、少なからず成長している(のかもしれない)ことの証左と捉えれば、どこまでもどうしようもなく凡人である自分を、ちょっとだけ笑って慰めることができるような気がする。