ϛ

↑「スティグマ」です。

音を作るようになって少ししてから、いままでずっと、ドローンミュージックというものに興味がある。それも、すごくある。
すごくあるくせに、「これがドローンミュージックだよ」という音源を聴いたことがない。
別に避けてるわけでもないんだけれども、「なるほど、こういうのをドローンミュージックって言うのね!」という体験をしたことがない。
電子音楽の界隈ではよく目や耳にする言葉だから、そのたびに、どんなものなんだろうっていう興味ばかりが大きくなっていく。

何度か記事に登場させてる『新・音楽の解読』でも、一章を費やしてドローンミュージックを紹介している。
興味があるから何度も読むんだけど、それを読むとますますわからなくなる。
同書で紹介されている膨大な数の音源の中には、わたしでも持っているようなものもあるけれど、アルバムの中のどの音源がドローンミュージックでどれがそうじゃないのか、聴いても分からない。
通奏低音(drone)という言葉というか、その字義にこだわりすぎなのかな……これも違う,あれも違う、いったいどれなの?ってなる。

そもそも音楽の微細なジャンル分けに興味がほとんどないし、興味があれば聴くし、聴きたいと思える音なら何度でも聴くから、ドローンミュージックも、そうと意識してないだけで、たぶん聴いてはいるんだろうと思う。
今もこれ書きながら聴いてる、大好きな Stephan Mathieu さんのアルバムとか。
誰か「これ!」って教えてよって思うけど、教えてくれる人もいないので、妄想ばかりがふくらむ。子どものセックスみたい。

今回のを作る直前にも『新・音楽の解読』をパラパラめくっていて、また最終章(ドローンミュージックの章)を読んでモヤモヤしていて。
前の日にモジュラーシンセサイザーたちと遊んだ記憶がよみがえって、あの子にこんな動きをさせたら、ここに書いてあるようなドローンになるんじゃないかしらと思いついて、寝る前だから音を出さずにパッチングだけしておいて。
翌日、仕事から戻ってから電源を入れて音を出してみたんだけど……ちっとも面白くない。

面白くないから、パッチングを変えながら自分なりの落とし所を探して、Ableton Live に取り込んで。
一捻り加えたくて、取り込んだ音源を Ableton Live で加工したり、サンプルパックからノイズを探してきて、加工して忍ばせたりして。
空間への音の配置というか、左右の広がりみたいなことも少し考えたりしながら、Ableton Live での作業を終えて Studio One へ。
いつも悩むのは、どう始まってどう終わったらいいのかということ。
こんな感じかなあと思ってやってみても、たいがい一度ではしっくりこないので、そこからオートメーションとの格闘が始まる。
今回はうまくできた自信がちょっとはあるけど……どうなんだろう。

一晩寝かせて、Elly にも聴いてもらうのはいつもの流れ。
「神の見えざる手って感じ。私たちが生きてるこの世界じゃないみたい」って言ってもらえて、思わず小さくガッツポーズ。
まさにそういうイメージをしながら作っていたから。
思いつきで作り始めちゃったから、アルバムアートもタイトルもないと相談したら、「記号がいいんじゃない?」という、思いもよらない提案が返ってきて。
それはいい!乗った!と、いろんな文字やシンボルを調べたり、アルバムアートを作ったりして。
アルバムアートは、Elly が送ってくれた近所の春の風景の写真を Photoshop でグニャグニャに加工したもの。
フィルターのメニューにある機能を片っ端から使った感じだから、二度と同じことができない。音作りと一緒。
偶然だけれど、音に込めた意味をアルバムアートでも表現できているような気がする。うん、完全に自己満足。

タイトルの “ϛ” はスティグマと読み、ギリシャ数字で 6 を意味するそう。
stigma と書くと「聖痕」とか「烙印」とかいう意味になるけど、いわゆる「社会的スティグマ」に言及する意図は全くなくて。
他人にレッテルを貼る快楽も貼られる屈辱も知っているし、いくら理想を唱えても快楽には勝てないことも知っているから。
じゃあどういう意図なのかと問われたら、極めて個人的な、パーソナルなもの(属人的という意味ではなくて)、とだけ答えるつもり。

というわけで、新作 “ϛ” です。
そうそう、『サウンド&レコーディング・マガジン』2024 年 5 月号、読みました。ただのファンでしかないけれど、彼の音と言葉を糧に育った一人です。安らかに眠られんことを、心底より祈ります。

……と今年の春に書いて、いつでもリリースできるように、と思ってそのままにしておいた。
実は他にも下書きがあるんだけれども、そっちは日の目を見ないかもしれない。わかんないけど。

Finder を眺めてみると、今年の 3 月から 5 月くらいにかけて、やたらと音を作っていたことがわかる。
その後、新国誠一を音響詩にしてみる取り組みに興味が移ったりとか、二枚目のアルバムを出したりとか、武蔵野美術大学にお邪魔したりとか、8 月のライブとか、Y さんと飲んだくれたり M さんと飲んだくれたりとか、Elly の緊急入院とか、CMF2024 とか、T さんと S さんと飲んだくれたりとか、フランスの Roland さんやイギリスの Bruce さんとの出会いとか、ベルギーから来日中の Alain さんとのミーティングとかがあって。

そんなこんなを越えてきて(って、ほとんどビール飲みすぎてお腹壊してただけだけど)、今になって、件の「やたらと作っていた音」を聴き直すと、そのほとんどが自分にとってつまらない、物足りないものになっていて。
それが、ただ単に、聴いた瞬間の自分の心持ち(鬱がひどいかそれほどでもないか、も含めて)のせいなのか、それとも自分の中の何かが書き換わったせいなのか、よくわからないからちょっと経ってからまた聴くんだけど、やっぱりつまらないから、きっと後者なのだろうと、いったん結論づけた。

捨てるのももったいない気がするから(貧乏性)解体して組み直したりしてみようかな、とか、ばっさりと全部捨てちゃおうかな、とか、気持ちはモヤモヤと行ったり来たりしているけれど、現時点で発表できるのは、この “ϛ” くらいかなと思う。
これだけは、聴いてても物足りないと感じなかったから。

というわけで、新作 “ϛ” です。楽しんでいただけたらうれしいです。

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