図書館を訪問させていただきました。
新国誠一という詩人を知って、どハマりした経緯についてはこちらにすでに書いたのだけれど。
そこに挙げた『新国誠一 works 1952-1977』(思潮社・2008)という本の帯に、「新国誠一の《具体詩》——詩と美術の間に」という展覧会の情報があり、武蔵野美術大学美術資料図書館での会期が 2009 年 6 月 8 日〜 6 月 29 日と書いてあった。
『現代詩文庫 新国誠一詩集』(思潮社・2019)の詩論や年譜を読んで、彼らが設立した ASA(芸術研究協会 Association of Study of Arts)およびその機関誌に興味をかき立てられていたわたしは、もしかしたら武蔵野美術大学美術資料図書館に ASA の機関誌が置いてあるのではないかと思いつき、問い合わせのメールを出した。
そして、それらは、そこにあった。
担当者の方とメールのやりとりを繰り返し、Elly といっしょに訪問日を決め、閲覧申請書に記入して郵送したり、「武蔵美に行って来ます」と伝えて平野さんにびっくりされたり、聞きたいことを箇条書きにしたりして、迎えたその日。
空港で小さなお土産を買って、飛行機とバスを乗り継いで、Elly との待ち合わせ場所へ。
Elly のお母様のご厚意に甘えて、武蔵野美術大学まで車で送っていただいた。
正門で、二人で「おー!」と盛り上がって撮った写真が冒頭のもの。
正門の受付で入館証をもらい、守衛さんに道を教えてもらって、周囲を眺めながら図書館へ。
歩いている人はほとんどいなかったけれど、美術大学ならではのポスターや掲示物にいちいち立ち止まって見入ったり、講義が行われている教室の横をそっと通ったりしながら、キャンパスをゆっくりと歩いた。
図書館はけっこう奥の方にあって、入り口でインターホンを押して、ゲートを開けてもらい、担当して下さる方の名前を告げた。
すぐに担当者さんがいらっしゃって、奥の閲覧室に案内された。
そこにはすでに、機関誌『ASA』が全号(1〜7 号)と、いくつかの参考文献が、大きなデスクの上に並べられていて。
本物の『ASA』を目の前にして、鼻息を荒くするわたし。
参考文献は、コンクリート・ポエトリーに関心があると事前に伝えていたわたしのために、担当者さんが探してくださったいくつかの論文と、新国誠一が上京する以前に地元の仙台で新聞に書いていたコラムを集めたもの、新国誠一本人が自分の原稿(詩)を束ねて厚紙で表紙をつけ、手書きでタイトルを書いたもの(要するに世界に一冊しかない彼の手製の詩集)など、どう見ても古くて貴重な資料だった。
お土産を渡しながらお礼を伝え、雑談をし、機関誌『ASA』全巻と参考文献の一部をコピーして持ち帰りたい旨を伝える。
しかし、著作権の関係で全頁の複写は難しいとのことだったので、コピーしたい部分に付箋を貼り、ページ数に問題がないか確認してもらってから、図書館のコピー機(1 枚 10 円のやつ。卒論を書くときにいやと言うほどお世話になったのを懐かしく思い出した)でひたすらコピー。
小銭がなくなると、構内のコンビニで買い物をして小銭を作り、またコピー。
アイキャッチは、途中で休憩のために案内していただいた喫煙所の近くで見つけた看板。
コピーしている最中に、ボールペンや鉛筆、赤鉛筆で線が引いてあったり書き込みがしてあったりするのを発見したので、担当者さんに伝えたら、
「ああ、それ、本人の書き込みですよ」
「本人……『本人』って、新国誠一さん、ですか?」
「ええ」
「えええええ!?」
というやりとりもあった。
閉館の 10 分ほど前になんとか終えて、分厚い紙の束をリュックに突っ込んで、担当者さんに何度もお礼を言って、退館。
タクシーで近くの大きな駅まで戻って、近くのお店で Elly と乾杯して夕食。
そのあとは Elly のお家に 2 泊させてもらって、8 月のライブに向けた打ち合わせや機材の動作チェック、物販の準備など、二人で事前に決めていたタスクを順調に、全部こなした。
……順調に全部こなしたんだけど。
どういうわけか、時間の感覚が突然に狂い始めて。
昨日行ったはずの武蔵野美術大学や、昨日の夜に行ったはずのお店の記憶が、何日も、下手したら一週間くらい前のこととしか感じられなくなってしまった。
しまいには、その日の昼や夜に Elly が作ってくれたご飯ですら、さっき食べたなんておかしい、あれはもう数日前だとしか思えない。そんな感覚に陥ってしまって。
しかも、二人とも同時に。
逢うたびに、今回は時間がたつのが速く感じるとか遅く感じるとか、そういう話をするのだけれど、いつも必ずその感覚は二人とも同じで。
二人同時にそうなることそれ自体には、なんの不思議もないんだけれど、今回は感覚の狂い方というか、その進みの遅さ(「速さ」なのかしら……どっちなんだろ)があまりに異常で。
これを書いている今は、あの日から半月くらいたっているけれど、あの 2 泊 3 日の間だけ起こった、ひどく間延びしたような時間の感覚、とても不思議で、でもゆったりしていて、とても幸せだったあの感覚は、手を伸ばせば触れるくらい濃密な記憶として、わたしの中に残っている。
自分でコピーしまくっておいて、山のような紙の束を前にちょっと途方に暮れているなんて口が裂けても言えないから、がんばって読む!