入力と出力。
仕事の関係で、不規則だけどちょっと余裕のあるこのごろだった。
今週からはまたバタバタする日々に戻るけれど。
何をしていたかといえば、音も作っていたけれど、本を読んでいた。あとは映画と TED を観てた。
“Libraries raised me.” と言ったのはレイ・ブラッドベリだけど、わたしの場合は “Books raise me.” だと思う。
マンガの代わりに大量の本を与え、ゲームの代わりにマイコン(!)を与え、テレビを見せなかった両親のおかげで、今のわたしがある。
マンガとゲームに囲まれ、テレビのアニメやドラマの話題に興じる友だちのことが、当時はうらやましかったりしたけれど、今になってみればちっともうらやましくないし、親には感謝しかない。
面白かったのは、レーモン・ルーセル『ロクス・ソルス』(平凡社・2004)、ド・ラ・メトリ『人間機械論』(岩波書店・1932)、塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』(筑摩書房・2003)、吉成真由美(編)『知の逆転』(NHK 出版・2012)あたり。
ガストン・バシュラール『空間の詩学』(筑摩書房・2002)、ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』(晶文社・1999(1970))、クリストファー・アレグザンダー『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』(鹿島出版会・2013)も、まだ読み終えていないけれど面白い。
『Filter volume.08』(シンコーミュージック · 2025)はジョン・チョウニングのインタビューが面白かった。いい時代だったんだなあ。
Processing と Max/MSP の勉強もしているんだけれど、Max/MSP については日本語で書かれた入門書がない(というか、まともなのがない)ので、Gregory Taylor “Step by Step – Adventures in Sequencing with Max/MSP” と Maurizio Di Berardino “How to program Max4Live devices – Effects”(どちらも Amazon のオンデマンド印刷)と Cycling ’74 の Web documentation を使っている。
Jitter に関しては洋書の入門書も見当たらないので、Web documentation に頼るしかなさそう。
高校数学くらいまできっちり理解していないと、Processing でわたしのやりたいことができなさそうなので、数学も勉強し直しながら、大学受験の頃を思い出したりしてる。
映画は相変わらず雑食というか、面白そうと思ったらとりあえず観るんだけど、一方でデヴィッド・リンチの作品をもう一度じっくり観て、サウンドトラックも聴いている。
Elly は映画にとても詳しいので、薦めてくれるのを観たりもしてる。
TED もタイトルが面白そうならなんでも観るんだけれど、Suzanne Simard のは(空想が裏書きされたという意味で)とても衝撃的で面白かった。
「動物的植物」とあの時代に言ってのけたド・ラ・メトリは、やはり慧眼。
悪食と言われようがなんだろうが、興味関心に正直になって入力を積み重ねていけば、いずれそれが出力としての表現行為(音や映像など)に繋がってくると、予想はしているけれど、期待はしていない。
テクニックについての学びにはさすがに多少は期待するけれど、そもそも出力を期待して自分に入力するなんて、なんかさみしいし、さもしい気がする。
自分というブラックボックスに放り込んだものがどんな風になってこぼれ落ちてくるのか、自分が一番興味があるし。
たいしたものが出てこなかったとしたら、それはわたしがまだまだ未熟、入力不足だという証左として受け止めればいいだけだし。
“The more I learn, the less I know” なのだ。
こんな風に勉強し続けることができるのは、タイミングもあるし Elly のおかげでもあるんだけれど。
まだまだ読みたい本は山積みだし、バタバタしても学びを止めたくないから、時間の使い方をもう少しうまくしないとなあ。
“Books are a uniquely portable magic.” とはスティーブン・キングの有名な言葉だけれど、絶えず持ち歩いてると確かに読み進められるし、読み進めることで魔法がかかるというのも、よく分かる気がする。
4 月には Elly とのデートもあるし、まずはそれを楽しみに生きていくつもり。
そんな、このごろ。