chaosmos

今回の新作とぜんぜん関係ないけど、言いたいから先に言う。

iPhone 12 Pro を使い始めてから、写真を撮るのが楽しくてしかたがない。
道ばたにうずくまって小さな小さな雑草の写真を撮っている変な人がいたら、たぶんわたし。

前作 “Babel” から3ヶ月。
仕事が忙しかったのもあるけど、行き帰りに草花の写真ばっかり撮って、家に帰ってもまったく音を出さない日々が続いていた。

それでも、「テクスチュア」について考え続けたり、読書や調べ物に勤しんだり、Ableton のサイトを読みまくったり、音のことを忘れたわけではなくて、ずうっと音について考え続ける日々だった。

撮った写真は全部一箇所に集まるようにしているので、時々そこを見て、気に入った写真を、いずれ生み出すであろうノイズのジャケットに加工するのもけっこう楽しくて。
イメージと言葉を結びつけてストックしておくという感じ。
ノイズが生まれたらこのストックを覗き込んで、「ああ、これね」と思う言葉を結びつけてあげるつもり。

そして昨日。
ちょっと音でも出してみようかしら、と軽い気持ちでモジュラーシンセサイザーたちと向かい合った。
ノイズを作ろうという意気込みはゼロ。前に手に入れていた、いくつかのモジュールをラックに組み込んだついで。
デジタルミキサーで SD カードに録音はしていたけれど、それは前に読んだ記事で「何でも録音しておけ」みたいなことを書いてあったから真似してみただけ。

モジュラーシンセサイザーたちと向き合うたびに感じることなのだけれど(学べよ、わたし)、あっという間に彼らの出す音の渦の中に、圧倒され、体を開かれて、呑み込まれる。
初めはか細いたった一音であったとしても。その一音に体ごと持っていかれる。
オシレータ1つ、ローパスフィルタ1つ、デジタルテープディレイ1つ。
CV はちょこちょこパッチングしているけれど、音の経路はこれだけにしようと決めて、パッチングし、ノブに触れる。

音が勝手にわたしに囁き、吠え、喜び、泣き、怒り、悲しむ。
寄せては返す波のような音の中に、気がつけば呆然と立ち尽くしていた。

二時間近く茫然自失の中で録音されていたものを、Studio One に取り込んで聴き直す。
ノイズを小さなシグナルにして敷き詰めて。
どの音も等しく愛おしいけれど、ここからここまでと決めてミックスダウン。

ストックしておいたジャケット写真のフォルダを覗いたら、すぐに「あ、これ」というのが見つかった。
“chaosmos”
秩序と混沌の対立構造が崩壊し、二者が「相互に浸透」している状態を表す言葉として現在は使われているらしい(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』より)。
しかし、わたしにとってそういうことは(ちょっとだけ興味はあるけれど)わりとどうでもよくて、”Finnegans Wake” (1939) で James Joyes が初めて使った言葉であることの方が大事だったりする。
つまり、この言葉は、わたしが大好きな(だけどほぼ理解できていない)ジョイスの手による、造語なのだ。

しかも、この言葉を見るたびに、わたしの中では、円環のイメージ、永遠に続く運動のイメージがぼんやりと喚起される。
だから、もう、お借りするしかない。

というわけで、新作 “chaosmos” です。

♪よかったらシェアしてください♪
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次