確信誤判。
“misprision” という言葉に初めて出会ったのは、能勢伊勢雄『新・音楽の解読』(DU BOOKS・2013)だった。
デュシャンの “Musical Erratum” を「ミスプリジョン(確信誤判)による音楽」と紹介していた。
この本は、一泊の検査入院をしなければならなかったときに、読めたら読もうくらいの気持ちでカバンに突っ込んで、消灯後に薄暗い病室で読み始めたらあまりに面白くて、気づいたら徹夜で読み終えていた。
今でも繙くたびに、結核と誤診されて一晩閉じ込められた病室の思い出とともに、「わたしは何も知らない」というもはや心地良い絶望感と、たくさんの刺激をもらえる。
語源にあたると、もともとは「不正行為」「犯罪」などを意味する法律用語だったらしい。そこから、「重罪行為の存在を知りつつ故意に隠していること」を指すようになり、さらに別の言葉とも影響し合って「物事やその価値を見誤ること」という意味になったようだ。
物事やその価値を故意に見誤る、積極的に誤読・誤認することで、デュシャンやダダイストたちは既存の……何を解体しようとしたんだろう。価値観? 枠組み? 芸術? 文明あるいは文化そのもの?
わたしは不勉強すぎて、あてはまるぴったりとした言葉がわからないけれど、すでに構築された何かを壊して、更地にしてしまいたかったのだろうということは、なんとなく、わかる気がする。
モジュラーシンセサイザーを使っていると、いろんな疑問が湧いてきて、マニュアルを読んだり、ウェブで調べたりすることもある(しないこともある)。
そのたびに思うのは、モジュラーシンセサイザーに限って言えば、やってはいけないことはない、ということ。
やってみた結果が自分の気にいるものなら OK なのだ。音さえ出れば。壊れなければ。
だからこそみんなが楽しんでいるのだろうし、面白いモジュールや創意工夫に満ちたパッチングの方法が生まれたりもするわけで。
ただ、じゃあわたしは、あえて間違った使い方をしてみようと意気込んで、間違ってるけれど面白い結果を生み出すことができるのかと問われると、できない。
気づかずに間違っていることはたくさんあるだろうけれども、わざと間違えるというのは、ポンコツなわたしにはなかなか難しい。
「これはこう使うものだ」で止まってしまう。「普通はこう使うものだけれど、こんな風にも使えるんじゃないか?」という思いつきというか、ひらめきというか、そういうのがない。ほとんどない。
Ableton Live にはたくさんの音源やインストゥルメントやエフェクトがすでに入っていて、好きなように組み合わせて使うことができる。
プリセットを選んでもいいし、自分で一つひとつパラメータをいじることもできる。
そういう意味で、モジュラーシンセサイザーたちとすごく近いものであるような気がずっとしている(モジュラーシンセサイザーにプリセットはないけれど)。
きっとここでも、普通の使い方と、本来の用途ではないけれど面白い使い方というものが、存在するのだろう。
そしてわたしはきっと、気づかずに間違って使っているだけなんだろう。
この音を作っている間、ずっとそんなことばかり考えていた。
それだけが理由ではないけれど、この音のタイトルはこの言葉にしようと思った。
というわけで、新作 “misprision” です。アルバムアートは近所で撮った写真を加工したもの。