texture(テクスチュア)

テクスチュアということについて、どういうわけかずうっと考え続けている。

なぜこんなにも考え続けているのか、自分でもよく分からないけれど、考え始めたきっかけはよく覚えている。
シンセサイザーに興味を持つようになって、いろいろなことを読んだり調べたりする中で、音の話をしているにもかかわらず「テクスチュア」という言葉が多用されていることに気づいた。
何となく、テクスチュアという言葉で発言者が言い表したいもの、あるいはイメージのようなものは理解できているような気がするのだけれど、あくまで「気がする」だけだし、はっきりとしたイメージ、「つまりこういうことよね」という言葉や映像が頭に浮かぶわけでもない。
世の中はすべからく言葉でできているというのがわたしの世界観なので、いつも持ち歩いているノートには何度も「テクスチュア」という言葉やそれについて調べた引用、下手くそな落書きや写真や図解の切り貼りが数ページおきに登場することになって、今に至る。

つまりは「テクスチュアってこういうこと」と言いたいのだ。
あるいは誰かから聞きたいのだ。

最近になって、わたしの本棚には音楽にまつわる書籍がどんどん増えていっている。
電子書籍では読んだ気にもなれず記憶にも残らないポンコツな脳みそのわたしは、必要な知識の9割くらいは印刷物から得ている。
指で紙に触れ、ペンを握り、自分の手で線を引いたり自分の字で書き込んだりしないと、どうしてもダメ。
だから、基本的にシンセサイザーやモジュールのマニュアルはダウンロードして印刷して簡易製本かファイリングだし、ブログやウェブサイトの記事で面白いと思ったものも印刷してノートに貼るか、ファイリングする。

この時の、手にしてホッとする紙の手触りのようなものを感じられる「音」とはどのようなものなのか。
それはどのように織られ、重ねられ、あるいはずらされ、散りばめられ、時には破られたりするのか。
谷川俊太郎ではないけれど、ネリリしキルルしハララするために、わたしはどうふるまえばいいのか。

伝統的な記譜法をイメージするなら、横糸は時間あるいは音の長さ、縦糸は音の数、手触りや色などを決めるのが音高や音色なのかしら…などとぼんやり考えたりすると、横方向に閉じていないこの記譜法はまさに、織機が動く限り延々と生産され続ける、長方形の布のイメージで。
正方形だったり円形だったり、布の形そのものを変えてみたいという気持ちが図形楽譜という新しい記譜法を生んだのかしら、あるいはループは小さな布のコラージュなのではないかしら……などと思いを馳せたりして。

そんなの、一朝一夕に分かってたまるかという思いもどこかにあって。

最近読んだ『日本のライブ・エレクトロニクス音楽』という本は、鈍痛のようにジワジワと何かを考えさせる。
おそらくだけど、音に携わる全ての人は、自分の頭の中にある音をぽこっと外に出したいという思いを、どこかで抱いているのではないだろうか(ビアディーマンは TED で、そのための機械を手に入れたと述べ、披露した)。
様々な楽器、奏法、技術はそのために生まれ、あるいは使われて来たのだろうと、この本を読んであらためて感じている。

わたしもまた、ようやく、「ぽこっと外に出したい音」について考える端緒を手に入れたのだろう。
これから何がどう進んで、その「音」を知ることになるのか、今はまだ見当もつかない。
もちろん、それを「ぽこっと外に出」すことができるのかどうかなんて、全然分からない。

わからないけど、そんなの無理、とは思わない。だから、やってみようと思う。
やっと見つけられた、わたしがワクワクできることだから。

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