納得感のようなもの

アイキャッチ画像は思いつきで作ったいたずら書きです。

“STIC” について書いたときに、EQ で音をいじる時の「やめ時」がわからないと書いて、そのあとずうっとそれが引っかかっていて。

馬鹿だと思われるだろうけど、書いちゃうけど。
あの翌日、仕事に向かう電車の中で、SoundCloud にアップロードした自分の音を bluetooth イヤホンで iPhone から聴いて、「あ、わたし、これ好き」って思えた。「別にいいじゃん」って思った。


(この続きを延々と一時間くらいノンストップで書いていたんだけど、全部消した。
だって、全部すでに誰かが、もっと上手に端的に語っていることだったから。
わたしが今さら、下手くそな書写練習みたいなものをここに提示する必要はない。)

オリジナリティとか個性とか創造性とか、そんなものはもはや存在しない。
すべてのものはすでに「書かれて」いて、まだ見ぬ未開の沃野なんて、ない。

誰かと誰かの「これ好き」が一致することはあり得ない。
分裂し増殖し続けるわたしは(最大公約数ではなく)差異によって「誰か」とコミュニケーションし続ける。

大切なのは、動き続けること。分裂し増殖し続けること。
そういうこと。気付けてよかった。


ここからは蛇足。

問題は、「まだ見ぬ未開の沃野なんてないんだ」って、どれだけ観念的ではなく断言できるかだと思っている。
自分の中に共振するコードがあるかどうかはともかくとして、音楽でも美術でも言葉でも文学でも科学でもいいんだけど、新しいものを見たり聴いたり読んだりすること。

自分の地平は自分で押し広げないといけないけど、自分でできることには限りがある。
「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」ではないけれど、視野を拡大してくれる誰かがそばにいるって、すごく重要なことだなって、あらためて思う。

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